金華山と山頂の岐阜城
織田信長が、斎藤道三の孫 斎藤龍興を亡ぼし永禄10年(1567年)美濃に
移ると、ここ崇福寺(そうふくじ)を菩提所として、保護しました。
本能寺の変で、信長と息子の信忠が、明智光秀に討たれると信長の側室
お鍋の方が、その遺品を送り寺内に埋め位牌を安置させました。これが現在の
織田信長父子廟です。
信長の孫 織田秀信が慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍
石田三成に加担したため、東軍の猛撃にあい岐阜城は落城して
この時戦死した将兵の菩提を弔うために、岐阜城の床板を、本堂の
天井にはられました。「血天井」と呼ばれ今でも、血痕が付着して
いるのがみられます。
拝観時間 3月~10月 9:00~17:00
11月~2月 9:00~16:30
拝観料 大人 200円 小人 150円